旬感・千年北海道

青函トンネルを抜けて広がる、北の9都な物語

上ノ国で北の中世情緒三昧(前編)

「訪問日:2020.10.20

上ノ国、北海道南西部にあり、日本海に臨む農漁業の町です。

14世紀から15世紀にかけて、和人が蝦夷島(えぞがしま)の南西部へ進出するため、「道南十二館」と呼ばれる館を築き上げました。このころ和人支配地のなか、南部の日本海側は「上ノ国」(かみのくに)、太平洋側は「下の国」(しものくに)と称されていた。花沢館に拠る蠣崎(かきざき)季繁を守護とした「上ノ国」という領域がそのまま町名に使われるのです。

近年、三つの館跡を擁する上ノ国町は、北海道中世史を体験できる唯一の町として注目されています。幾星霜風雪に堪え、深い歴史を刻んできた風格が漂っているこの町で、激動の北の中世にタイムスリップしましょう。

 

初秋の晴れた日、朝916分に木古内駅前発の函館バス(江差木古内線 江差病院前行き)を乗って上ノ国町へ向かっていきました。

▼木古内駅前②番バス停で乗車

今回の旅は「江差·松前周遊フリーパス」の利用となりました。これは函館から北海道南西部各町まで走るバスに、二日間または三日間乗り放題のお得なフリー乗車券です。ご利用可能な線路、利用料金、販売場所などの情報はこちら。バスの時刻表は時期により変わる可能性がありますので、函館バスのホームページでご確認ください。

▼バス二日間乗り放題キップ 大人3000

10時29分に「大留」バス停で降り、10時35分に向かいにある「大留」バス停(ショッピングコバヤシ側)発のバス(小砂子線 原口漁港前行き)に乗り換え、10時45分に「原歌」バス停で降車しました。この辺りには絶対見逃せない絶景スポットがあります。

それは「道の駅 上ノ国もんじゅ」です。

▼北海道Walkerの絶景感動部門で金賞を受賞している「道の駅 上ノ国もんじゅ」(画像提供:上ノ国町)

「道の駅 上ノ国もんじゅ」が所在する平坦地は、今から12万年前に形成された海成段丘です。一方の海岸付近では、数万年前の海底火山によって生じた水中火山岩の枕状溶岩や今迄の海蝕が作り出した奇岩などを間近で見ることができます。

▼ 「道の駅 上ノ国もんじゅ」から美しい日本海と様々な奇岩の姿を一望できます。

「道の駅 上ノ国もんじゅ」の裏からは、遊歩道で海岸へ降りることができ、往来することで約12万年分の自然の脈動を体感できます。

▼海岸への遊歩道が整備されていますので、気軽に散策出来るようになっています。

▼「釣りの第一銀座」と呼ばれる原歌~もんじゅ下は、大物のカレイが釣れる釣り場として人気があるそうです。

更に、不思議な伝説が!

道の駅に隣接する大澗ノ崎には窓岩があり、この穴に上が階段のようになっているところは「神(かん)の道」と呼ばれています。

この「神の道」には海の神「龍神」が上ノ国町の太平山に棲む山の女神に逢いに、「龍燈」となって夷王山を経て八幡野を通っていくという「龍神伝説」があります。実は近年も実際に沖合から「龍燈」を見たという人がいるそうです。また、大平山の洞穴が海に通じている証拠として、アイヌが太平山の洞窟に犬を放つと、犬は大澗近くに現れたといい、太平山の洞窟には満潮の夜には小蟹が戯れ、海草が付着していたという話もあります。

2012年、「神の道」は北海道新聞社が発表した「ほっかいどう100 の道」に選ばれました。「龍神伝説」から恋愛のパワースポットとしても人気急上昇中ということです。

▼恋の伝説が残る「神の道」。晴れた日には窓岩穴越しに真っ赤な夕陽の光が臨むことができ、とてもロマンチックな雰囲気を味わえます。

さて、「道の駅 上ノ国もんじゅ」の中へ。

入口のところに、「もんじゅ」は「文珠」と書かれています。実は、この道の駅がある前浜一帯は、旧地名を「文珠浜」と言います。「文珠浜」の由来については、地元の漁師が漁に出て、船の上から前浜を眺めると、眼下の岩が「文珠菩薩」に似ていることや、昔は岩陰に「文珠菩薩」の像が奉られていたなど、いくつかの説があるそうです。

店内1Fの売店では、地場産の新鮮な農産物、水産加工品、地元や道産食材を使った和菓子が販売されています。また、水の浄化、健康増進、美肌など色んな効果が証明されている上ノ国でのみ採掘される希少な天然鉱石「ブラックシリカ」の製品も販売しています。

▼檜山産2年目の大きいホタテ、1枚 100円でお得ですね!

▼「菓処あまのがわ」コーナーでは上ノ国町ゆるキャラ「カミゴン」の焼き印が入ったどら焼きをはじめ、上ノ国産いちごを使った大福や水まんじゅうといった和菓子は大人気です。

▼地元の産品だけではなく、隣の地域の特産品も豊富に揃っています。

Fはレストラン「グルメブティックもんじゅ」です。

日本海を一望する大パノラマが広がる圧巻のロケーションで、地場産の新鮮な海の幸、山の幸を生かした季節のメニューを楽しめるという点が特に好評です。

▼レストランの海側の窓が大きく、開放的な海の景色を堪能できる空間でゆったり食事を楽しみながら過ごすのは最高の体験です!晴れた日には江差のかもめ島や奥尻島もよく見えます。

人気NO.1メニュー「てっくい天丼」を頼みました。「てっくい」とは、檜山地方の方言で「ヒラメ」のことです。なぜかと言いますと、漁師はヒラメの口元から釣り針を外そうとしたら、歯が鋭いヒラメに嚙まれたことがよくありますので、「手を食う」(手食い)からこう呼ばれるそうです。

▼てっくい天丼(小鉢·味噌汁·漬物付き) 1070円(税込)

ヒラメはとても新鮮で、ちょうどよい加減に揚げていました。衣はサクサクで、身は肉厚でふんわりとした食感が絶品です。主役にしていない舞茸·大葉·かぽちゃ·しいたけの天ぷらもとても美味しかったです。ちょっと薄めに見えた甘タレは意外と味が濃厚で、天ぷらとの相性が抜群です。全体として、高級店に引けを取らない上品な旨味を感じました。

食後の定番はやはりいちごジュースです。地元産のいちごと牛乳のみで作ったいちごジュースは程よい甘さで、苺本来の甘さと酸味をしっかり引き立ていて、ミルク感とのバランスがよく、爽やかな味がします。

▼いちごジュース 通常380円(税込)、お食事と一緒の注文で330円に

また、いちごソフトクリーム、チーズケーキ、ミルクレープ、菓処あまのがわとコラボした季節のパフェなどこだわりのスイーツも提供しています。夕日を眺めながらのスイーツタイムもおすすめです。

「道の駅 上ノ国もんじゅ」の営業情報はこちらでご確認ください。

 

いよいよ、北の中世世界に参ります。

中世の城「勝山館跡」(かつやまだてあと)を含めている史跡見学コースは二つあります。

一つは歴史的建造物&勝山館跡見学コース(上り)です。夷王山(いおうざん)の麓にある重要文化財旧笹浪家住宅から勝山館跡中心部まで、全コース約1㎞で、所要時間は一時間半程度です。上り見学コースは当サイトでも紹介されましたので、城攻めしているような気分を体験するなら、こちらのコースがおすすめです。

もう一つは夷王山散策&勝山館跡見学コース(下り)です。勝山館跡ガイダンス施設から夷王山山頂を経由して勝山館跡中心部まで、全コース約800mで、所要時間は一時間程度です。国道から勝山館跡ガイダンス施設までの車道が整備されたので、車で簡単に行けます。勝山館跡に行く前に中世の歴史を知りたい方や体力に自信がない方には、下り見学コースがおすすめです。

今回は下り見学コースにしました。道の駅から上ノ国漁港方向へ歩いて2分のところに夷王山への道が見えます。そこから勝山館跡ガイダンス施設まで軽いハイキングをしました。秋が深まる中、沿道に山野草が咲き乱れ、山の風車とススキが織りなす光景がなかなか幻想的です。

▼秋の青空に穂が揺れるススキ

15分後、勝山館跡ガイダンス施設に着きました。

国指定史跡の勝山館跡は、松前藩祖の武田信広(たけだのぶひろ)が1470年頃築いた山城で、16世紀末頃まで、蠣崎氏の日本海側における政治·軍事·北方交易の拠点でした。近年、調査や研究で明らかになり、500年以上の歴史にわたり繁栄を極めた「北の中世都市」の様子が見えてきました。

勝山館跡の史跡指定地内にある勝山館跡ガイダンス施設では、1/200の勝山館跡の模型や墳墓を型取りして再現した原寸大のレプリカを展示しています。また、中国·朝鮮·琉球·ベトナムの舶来品やアイヌの人々が使っていた骨角器·陶磁器など、約10万点を超える遺物が発見され、その一部はここでも見ることができます。

▼勝山館跡復元模型。中世の生活様式をリアルに体感できます。

▼アイヌ所有印入り陶磁器。勝山館にアイヌ民族と和人が混住していたことが明らかとなりました。

勝山館跡ガイダンス施設は今冬期閉館中(2020119日~20214月下旬予定)なので、来ジーズン訪問予定の方はこちらでご参考ください。

勝山館跡ガイダンス施設のすぐ近くにある夷王山山頂に足を延ばして、10分くらいで登頂しました。頂上には素朴で荘厳な大鳥居があり、神々しいほどの美しさを放っています。鳥居の前ではまず一礼をし、振り返れば、超絶景が目の前に広がっています。

▼夷王山山頂は、鳥居·日本海·江差方向へ延びる海岸線·天の川の河口·上ノ国町の町並が1フレームに収まる絶好の眺望ポイントです。

天気が良かったので、夷王山の麓にある天の川の河口と大澗湾はよく見えました。古代から中世に至るまで、その辺は天然の良港で、蝦夷地に入植した和人の貿易の舞台となっていたのです。海風を感じながら、往時の日本海の荒波を乗り越えて往来した船の様子が目に浮かびました。

隣に武田信広を祀った「夷王山神社」があります。武田信広は勝山館で死去した後、夷王山に埋蔵されたと伝えられています。歴代の松前藩主は、藩祖の武田信広を参拝するため、松前からここまで来てお参りしていたそうです。

数世紀が経ち、往時の光景は変わってきましたが、今の夷王山は時を重ねて彩られた異空間として人々を惹きつけてやみません。

引き続き、山の中腹にある勝山館跡へ。

 

後編に続きます)

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