旬感・千年北海道

青函トンネルを抜けて広がる、北の9都な物語

【続日本100名城】中世の天空都市「勝山館跡」おすすめ観光ルートをご紹介

【訪問日 2018/11/5】
松前藩の祖である武田信広公が「コシャマインの戦い」を制し、15世紀後半(応仁の乱と同時期)に夷王山の中腹で築いたのが、山城と交易都市を兼ねる城郭「勝山館」です。その跡地は整備され「史跡 勝山館跡」として無料公開されています。

その勝山館跡は2017年4月に「続 日本100名城」に選定されましたが、それ以来、100名城スタンプラリーのために訪れる方が増えているようです。実際、当サイト管理人が関わる、木古内駅前にある「道の駅 みそぎの郷 きこない」所属の観光コンシェルジュデスクでは、勝山館跡への行き方を尋ねられることが急増しています。

大抵の場合は、山の斜面にある勝山館跡のさらに上の方にある「勝山館跡ガイダンス施設」(100名城スタンプ設置場所)への道順を案内します。国道から同施設までの整備された車道があって、お車だと簡単に行けますからね。そこから勝山館跡へ道を下りながら見学されるパターンが多いようです。

しかし、今回は観光コンシェルジュがおすすめする現地の楽しみ方をご紹介します。

ただ、上記の勝山館跡ガイダンス施設が冬期閉館(2018年11月12日~2019年4月下旬予定)を迎える直前なので、紹介するタイミングとしてはあまり良くないかもしれません。ですが、ひとまず紹介することにより、駆け込み訪問や来シーズン訪問予定の方の参考になればと思います。

 

さて、おすすめルートのスタートは、勝山館跡のふもとに位置する、上ノ國八幡宮向かいの公共無料駐車場です。

▼ 上ノ國八幡宮の場所はこちら

 

▼ 駐車場は、上ノ國八幡宮、そして重文「旧笹浪家住宅」から国道228号線を挟んで向かいにあります。


正面に旧笹浪家住宅が見えますね。

この上ノ國八幡宮前の駐車場については、こちらのHPもご参照ください。(外部リンク:上ノ国町役場HP内)

 

最初に勝山館跡ガイダンス施設へ向かわずに、なぜ、わざわざ歩くルートを勧めるのか?

その理由は後ほど。

 

▼ 写真中心のやや右側に緑色の細い道が見えますね。これが登り口です。

写真の左端に見える鳥居のところが上ノ國八幡宮です。併設のこげ茶色をした家屋と、右側にある上国寺の間の道を登っていくことになります。

 

▼ 登り口の案内看板です。「←勝山館跡」とありますね。

さあ、勝山館跡を目指す旅の始まりです。

ちなみに、靴はスニーカー程度で十分です。登山靴は全く必要ありません。ただし、たまに土がぬかるんでいる箇所もあるのでご注意。

 

▼ 程なくして、正面に「史跡 勝山館跡」の石碑が見えてきました。

歩道には落ち葉が大量に積み重なっています。もう少し早い時期に来れば、紅葉に囲まれつつ歩く感じだったかもしれませんね。

 

▼ 道は細く曲がりくねっています。もしかして城攻めをされにくくするための工夫でしょうか。

 

▼ 分岐が出てきました。正面には「伝説 荒神堂跡」の看板がある地点です。

順路は右側に進むルートです。でも、ついでですので、左側に進み荒神堂跡に立ち寄っていきましょう。

 

▼ ここが荒神堂跡。小さめのお堂が1軒建つくらいの平らなスペースです。

何でも16世紀中盤に領主一族による謀反が失敗に終わり処刑されたのですが、怨霊化したため鎮魂のお堂を建てたんだそうです。

 

▼ 荒神堂跡を奥に進むと、先程の分岐点で右に進む本ルートが一緒になっていました。

分岐点でどちらに進んでも、歩く距離は大して変わらないようです(笑)

ならば、荒神堂跡に立ち寄っておくべきでしょう。ついでですし。

 

▼ さらに進むと...

 

▼ 突然、開けた場所に出ました。

正面には城柵らしきものが見えます。もしや、これが勝山館跡でしょうか。

 

▼ 自然の地形を利用した土塁と、二重の空堀がありました。

さすが「続 日本100名城」に選定されるだけのことはあります。「館跡」とは言いつつも、しっかりとした山城のようですね。

 

今回のルートがふもとの駐車場からスタートした理由がここで分かります。

ふもとから細い山道をクネクネと曲がりながら登ってきて、急に開けた場所に出ると、正面には急角度の城壁や空堀が現れる。

つまり、城攻めしているような気分を追体験するためなのです。

武田信広公はコシャマインの戦いを経験した後だけあって、なかなか堅固な山城を築いたたようですね。

 

▼ 正面の立派な橋を渡って城郭に入ります。

上ノ国町制作の案内マップでは、ここは「虎口」と記載されています。一般的な城郭で言えば「大手門」でしょうか。

 

▼ 橋を渡り城柵の内側に入ると、きちんと整備された広大なスペースでした。

ここが史跡の「勝山館跡」です。

橋を渡る前、空堀など堅固な防御設備を目にした直後ですと、なおさらこの広大さとのギャップに驚くことでしょう。

 

▼ 発掘された屋敷跡などが分かりやすく展示されています。

それぞれの建物跡には解説パネルが設置してあるので、15世紀半ば頃の様子がありありと目に浮かびます。

 

▼ ふと後ろを振り返ると...

大パノラマが広がっていました!

眼下に日本海と檜山の大地が広がり、まさに「天空都市」のよう。

この日は微妙な曇り空でしたが、晴天の日は最高ですよ。

個人的には北海道でも有数の絶景スポットだと思っています。

 

ちなみに、ふもとの登り口からここまで、中年男性の足で10分程。それも途中で写真をパチパチと撮りつつ。標高差はスマホアプリ計測で87mでした。

普段、駅やご自宅の階段を問題なく登れる人なら楽勝の道のりでしょう。

 

▼ 天空都市を過ぎると、搦め手です。

搦め手側にも空堀が見えます。堅固な城塞都市のようですね。

 

▼ 搦め手を過ぎて程なくして現れる分岐では、右手方向に進みます。

何も考えず道なりに歩いていると、別の目的地に着いちゃうので要注意です(笑)

 

▼ 先程の分岐を右折してすぐの所には紅葉が少し残っていました。

木々の合間から、奥に建物が見えますね。

 

▼ 続日本100名城スタンプの設置場所「勝山館跡ガイダンス施設」でした。

天空都市から同施設までは徒歩約10分。搦め手からの標高差は20m弱で、最初の登り坂よりは傾斜もだいぶ楽になっていました。

「続 日本100名城」のスタンプ帳をお持ちの方は、入館してスタンプを押せます。

また、入館すると、勝山館跡の成り立ちや地形などに関する展示を見学できます。さらに分かりやすい解説ビデオも視聴できます。この解説ビデオはぜひ見ておきましょう。

ここの展示でじっくり学んでから、改めて天空都市を経由して来た道を戻ると、往路では気付かずに通り過ぎていた様々な発見ができることでしょう。

 

ただし、この日は11月5日。月曜で休館日でした。(いや、分かってはいましたけどね。近くを通りかかったので、どうせならと散策がてら登ってみた次第です。)

勝山館跡ガイダンス施設についてはこちらのページが参考になります。(上ノ国町役場HP内のページはこちら:外部リンク)

 

実は、この勝山館跡ガイダンス施設が最終目的地ではありません。もう一つあります。

▼ それはこちら。同施設の隣りに見える小高い丘?です。

名前は夷王山。

よほど天気が悪くなければ、ついでなので登っておきましょう。

 

▼ 道順を示す案内板もちゃんとあります。

 

▼ 登っていくと正面に何か見えてきましたね。

 

▼ 山頂には立派な鳥居と小さなお堂がありました。

 

▼ お堂の額には「夷王山神社」とありました。

ここには松前藩の祖である「武田 信広」公が祀られています。

歴代の松前藩主は、この藩祖が眠る地を参拝するために、現在の松前城の辺りからはるばるやって来ていたそうです。

 

そして、わざわざ寄り道してこの夷王山に登った理由がこちら。

▼ 振り返ると、そこには超絶景が!!!

勝山館跡ガイダンス施設横の夷王山登り口から山頂まで徒歩約3分。

山頂は標高159mなので、同施設からの標高差は約30m。

これは寄り道してこの夷王山神社まで行くしかありませんね。

よほど天候が悪くて眺望が望めないならともかく、ふもとから同施設まで登ってきたのなら、あと少しでこの超絶景に出会えるのですから。

ただし、晴天でも風が強いことが多いので、帽子などが吹き飛ばされないように注意しましょう(笑)

 

ちなみに、ふもとの登り口からだと山頂まで約23分でした。

 

▼ 見る角度を変えると、遠く江差の「かもめ島」が見えます。

 

▼ ズームするとこの通り。

目が良い人なら、かもめ島の横にある「開陽丸」まで見えるのではないでしょうか。

 

▼ 登ってきた方角を見ると勝山館跡ガイダンス施設が小さく見えます。

遠くには「北海道夜明けの塔」がありますね。(詳細はこちら:外部リンク)

ところで、夷王山の山頂からはこの写真のように山方向へのパノラマも開けています。もう少し早い時期なら紅葉を楽しめたかも。

 

▼ さて、目的地を一通り見終わったので、あとはガイダンス施設で学んだ事柄を思い起こしつつ帰路につきます。

 

▼ 往路にもありましたが、途中にはアイヌが葬られた墓跡があります。

この墓跡こそが、勝山館跡が他の山城跡と一線を画すことになった所以ではないでしょうか。

かつては、蝦夷地に先住していたアイヌと、中世以降、蝦夷地南部などに勢力圏を築いた和人とは敵対関係にあったと見なされていました。

しかし、この墓跡やアイヌが使う骨製道具類などが、和人が築いた城郭都市の敷地内から発見されたことにより、これまでの見方に変化が現れたといいます。

同じ都市の中で、アイヌと和人が隣り合って暮らしていたのではないかと推測できるようになったためです。

ただ、和人と仲の良いアイヌと、そうではないアイヌが存在していて、勝山館跡からは仲の良いアイヌの墓が出てきただけの話かもしれません。

でも、このように想像をめぐらすことができるのは、史跡の発掘や調査が進んだ賜物なのでしょう。

 

▼ 復路では、ガイダンス施設で見た地形の模型を思い起こしつつ歩くと、往路で気付かなかった発見が色々とあることでしょう。

 

▼ 最初の登り口の所まで戻ってきました。

夷王山の山頂からここまで約18分。

上りが23分。下りが18分。合わせて41分。

山頂の滞在時間を含めると50分といったところでしょうか。

さらに、この日は休館で入れなかった勝山館跡ガイダンス施設に入館して、じっくり見学できたとすると、総行程で1時間20~30分ほど。もっとのんびり歩いたり、頻繁に立ち止まって写真撮影したとして2時間。

 

城や史跡に興味がない人でも、道南西部9町エリアのドライブ中に立ち寄る観光コースとしては良い塩梅でしょう。かなりの絶景スポットが2ヶ所もありますし、軽いハイキングにもなりますし。

 

また、ふもとの駐車場から、同じ上ノ国町内で立ち寄るべき「道の駅 上ノ国もんじゅ」まで、国道228号線を松前方面へ1kmほどです。

この道の駅は、日本海の絶景を眺めつつ食事や買物ができるということで、北海道内の道の駅の中でも評判が高いところです。

勝山館跡&夷王山を軽ハイキングする前後あたりで、食事やコーヒー休憩に立ち寄るのが良いでしょう。

 

以上が観光コンシェルジュおすすめの「勝山館跡」観光ルートでした。

今シーズンは間もなく終わりますが、11月11日(月・祝)までの駆け込み、もしくは来シーズンに向けての参考になればありがたいです。

 

尚、今回は、ふもとの駐車場(上ノ國八幡宮前駐車場)までは、自家用車やレンタカーなどでアプローチする形でご紹介しました。

もし、遠方から公共交通機関を利用して現地(上ノ國八幡宮)へ向かうには次の手順となります。(2018年11月時点の時刻表に基づいた一例です。)

◆パターン1 (東京を朝に出発)

  1. 10:45 木古内駅着 (北海道新幹線 はやぶさ1号 東京6:32発)
  2. 11:11 木古内駅前発 (函館バス 江差木古内線 江差病院前行き)
  3. 12:20 大留バス停で降車
  4. 大留バス停から上ノ國八幡宮まで徒歩約28分(2.2km) または タクシー乗車(上ノ国ハイヤー TEL 0139-55-2611)

 

◆パターン2 (函館を朝に出発)

  1. 8:04 木古内駅着 (道南いさりび鉄道 函館7:04発)
  2. 9:20 木古内駅前発 (函館バス 江差木古内線 江差病院前行き)
  3. 10:29 大留バス停で降車
  4. 10:39 上ノ国駅前バス停発 (大留バス停近くの三叉路型交差点を左折して直ぐ) (函館バス 小砂子線 原口漁港前行き)
  5. 10:43 上ノ国バス停で降車
  6. 上ノ国バス停から国道228号線を松前方向へ上ノ國八幡宮まで徒歩約3分 (190m)

 

 

紹介ページはこちら

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